15 / 心に素直に

 言葉は知ってる。
 それがどういう行為を差すのかも知っている。
 だってヒトは――すぐに泣く。
 痛いとき、辛いとき、悲しいとき、どうしようもなくなったとき。
 泣いてる忍を見た事だってある。

 泣くくらいなら、泣かないですむように動けばいい。死ぬかもしれないと泣いている暇があるのなら、泣き止んで一人でも多く敵を殺せばいい。生き残るために。
 そうではないのか。
 それはもしかして、自分が合理的に考えすぎていただけなのか。








 包帯の巻かれた額に、ベスト越しのカカシの体温が優しい。
 目を開けると、至近距離なのにベストの線が歪んでいて、睫毛についた水滴が見えた。
 なでなでと、ゆっくりと頭を撫でる大きな手は、ただただ優しい。
 宥めるでも、慰めるでもなく、何の他意も無い手。

 そんな手は――初めてだった。
 『家族』があった頃でさえ、こういう風に触れられたことは無かったと記憶している。
 いや――。彼らは人としてさえ、自分を見ていなかったかもしれない。
 一族の象徴的な力の存在であり、名を保つためのもの。
 必要とされているのなら、何でも良かったのだ。それが例え道具という立場であったとしても、何もかまいはしなかった。

 でも。
 でもやはり。
 誰かに優しくして欲しいと、思った事はなかったか。

 一族を亡くした時に浴びせられた哀れみではなく、戦場に在る時の自分を見る媚に満ちた目でもなく、血が目当てであると透けて見える優しさではなく。
 ただの『優しさ』が欲しいと、思った事はなかったか。

 じわりと、目頭が熱くなった。





 細い咽喉が震え、カーテンが風にそよぐ音にかき消されてしまうほどに小さな音が漏れる。
 その音が何であるのか気付くのに、時間はかからなかった。
 嗚咽。
 必死に押し殺しているのだろうと容易く想像できる、小さな嗚咽。

 あちこちに包帯を巻かれた痛々しい姿で、サクラは細い肩を震わせる。
 もっと声を上げてくれれば慰めようもあるだろうに、彼女は決してそうはしない。今だってきっと、自分の中で処理できる限界まで耐えて、処理し切れなかったわずかな残りが溢れただけだ。何故だか、そう確信できる。
 心の中を想像できるほどにサクラの事を深く理解もしていないし、知りもしない。
 けれどもそう確信できるのは、何故なのだろう。

 彼女の淡紅色の頭を撫でて、小さく笑う。
 早く泣き止んで。
 君は、それくらいで立ち止まる娘じゃないだろう。
 涙で瞳を濡らさないで。
 強い瞳でオレを見て。
 その強い翡翠の瞳が好きなんだから。





 さらりと、絡まる事無く指を通り抜けていく柔らかな髪を、時たま弄ぶように指に絡める。頭を撫でる手はすでに止まっており、髪を弄ることに興味が移ってしまったのかと思うと、少し残念な気がした。
 頭の上で弄られていた髪が、彼の手から落ちて柔らかく頬に当たった。
「……ねえ」
 もうすでに涙は止まったが、完全に表情が戻ったか自信が無い。だからカカシの胸に額を押し付けたまま先を続けた。

「なぜ私にかまうの」
「気になるから」
「どうして」
「どうしてって――そりゃ、好きだから」

 一瞬、聞き直そうかと思った。
 ぽかんと口を開けて、思わずカカシを見上げる。
 彼はようやく顔を上げたサクラに向かって微笑い、また指に髪を絡めた。

「好きだからさ。理由にならない?」
「…バカ?」
「バカで結構。男はみんなバカなんだよ、知らなかった?」
「子供ね」
「あ、そっちの方が当てはまってるかもね」

 サクラの短い返答に、笑いながら彼はさらに言葉を返す。
 本当に嬉しそうに笑っている――まさに、子供のように。
 こんな短い会話のどこが楽しかったのだろう。サクラには何とも理解し難い。
 ――ふと、思いつく。

「…ねえ――先生」
 そう呼んでやれば、カカシは彼女の予想通りむぅと眉を寄せる。
 余りに分かりやすすぎるその変化に、サクラは思わず顔を背けて小さく笑った。
「その先生って…オレのこと?」
「この部屋に他に誰が?」

 笑いの残る声で答えてやれば、彼は更に機嫌を悪くしたようだった。
「どうして先生なわけ。名前は? 別に名前で呼んでくれていいよ」
「嫌よ」
「どうして」
「人生の先達を、名前で呼べと?」

 サクラが微かに語尾を上げると、カカシは少し眉を持ち上げ、それから何に気付いたのかにやりと口端を持ち上げる。
「へえ…じゃあ、そういうサクラがオレのこと名前で呼ぶようになったら、どうしてくれんの?」
 たとえ顔を見ていなくても、どんな笑みが浮かべられているか容易に想像がつく声。
 その笑みを見上げサクラは小さく鼻を鳴らし、思い切り挑戦的に告げてやる。

「ありえないわ」
「ありえるね」

 間髪いれずに返って来た返答にこもった余りの自信に呆れてカカシを見上げると、彼は嬉しくて楽しくてたまらないと言う代わりに、また少年のように笑った。

「オレはもう、サクラを手に入れるって決めたんだから」




■2002-11/16■改稿2003-12/29
しんどかったーっ。15話全ての改稿作業がようやっと終了しましたよ。もう懲りました。もう二度と改稿なんてしません。断じてしません。1年くらいかかったのかな。うわー、あほだな私(笑)。