11 / 主義の相違

 平坦な道を歩きながら、カカシはふとサクラを振り返る。
 他のメンバーとは離れて、一人最後尾を歩く彼女。
 彼女の緑の瞳が、何故だか楽しげに左右の森を眺めているような気がして、カカシはその動作を真似るように左右の森を注意深く見回した。

 さわさわと風に吹けば、葉を茂らせた枝が重たげにしなり、葉擦れの音を響かせる。それ以外には、ほんの微かに野鳥の声が聞こえてくる程度で、別に変わったことは何もない。

 何が彼女にそんな眼をさせているのか、不思議だ。
 思い返せば、サクラはたまにそういう眼をしていたような気もする。変化がほんの微々たる物なので、よく注意していないと見逃してしまうのだ。
 変わったことを何も見つけられないままカカシがまたサクラを振り返ると、見てしまった。
 彼女がはっきりと、口元に弧を描かせているのを。

 それは、まさに衝撃だった。
 今まで彼が何をしても決して浮かべることのなかった表情を、彼女は木々の中に何かを見つけ、それに向かって浮かべている。
 わけもわからず悔しくなり、カカシは前方に視線を戻すなり目に入った木々を適当に睨みつけた。





「あの……はたけ上忍」
「――ん?」
 呼びかけられて振り向くまでの一瞬の間にそれまであった感情を押さえ込めたのは、今の彼にとっては賞賛すべき事であった。

「この任務って、何ランクなんですか?」
 話しかけてきたその人物よりも、カカシはその内容に驚いた。その事柄は、任務を通達される時に普通は知らされているはずの事であるからだ。
 驚きに僅かに眼を瞠って、おずおずとした視線を向けてくるヒナタの顔を見やると、周りから新たに寄せられる視線が二つ。
 どうやら他の二人も知らないらしいと気付き、少し大きめの声で答えを返す。

「Aランクだけど」
「うっそ!」
 やけに甲高く響く声に振り向くと、いのは思い切り顔をしかめてカカシを見ていた。
「ちょっとー、どうしてイヤリングを盗むだけの任務がAランクなわけー!?」
「さあねぇ。警備が厳重なんじゃないの」
「ったく、めんどくせー任務だぜ」
「でも、イヤリングにそんなに厳重な警備って、一体なんなのかしら」

 そこで一瞬会話が途切れ、最初に口を開いたのはいのだった。
「――ちょっとー、あんたも何か言いなさいよー」
 腰に手を当てて仁王立ちの姿勢で、いのはサクラの前に立ち塞がる。
 それまで周りの森を眺めていた彼女の瞳が、すうっといのへと向けられた。

「協調性とかあんた無いわけー?」
 これはもしかして、連帯感を高めようとしての言葉なのだろうか。それにしては些かきついが。
 あまりに直接的なその物言いに少し眉を寄せると、案の定、サクラは緑の瞳を微かに細めた。
「無きゃいけないの?」
「え?」
 言われた言葉が一瞬理解できず反射的に聞き返したいのに、彼女は言い直す。
「協調性、無きゃいけないの?」
「なっ――」

 普通に育ってきた忍に対して、その言葉は信じられないものだろう。
 いのが血相を変えてサクラに詰め寄った。
「あんた忍でしょー? 忍にとって一番大事なことじゃないのー!」
「一番?」
 その言葉こそが驚きだとでも言うように、サクラの瞳が僅かに見開かれる。


「一番重要なのは個人の能力でしょ」


 さも当然という響きを伴なって吐き出された言葉に、彼女以外の中忍三人が動きを止めた。見開かれている瞳が、その驚愕の度合いを雄弁に語っている。
 そろそろここらへんで、話をまとめようか。
 これ以上続くと、任務にも支障が出そうな雰囲気でもあるし。

「いや――」

 ようやっと言葉を吐き出したカカシに、さっと視線が集中する。
「いのちゃんの言う通りだよ。協調性が一番必要なの」
 いのが密かにガッツポーズをしているのが見えるが、それはどうでもいい。
「サクラが今までどういう任務をこなして来たのか、オレは知らない。でも、この任務ではそうなの。だから、少なくともこの任務の間だけは、協調性を大事にして欲しいんだけど……」
「リーダーとして?」
「え?」

 頭のどこかで、さっきのいのみたいだ、などとぼんやりと思った。
「その言葉は、リーダーとしての言葉?」
 どこまでがそうなのか。自分の中ではっきりと線を引くためのその問いに、思わず苦笑が滲んだ。
「そうとってもらってもかまわないよ」



 忍にとって最も必要とされるもの。
 大体においてそれは任務に左右され、確固としたものが在るわけではない。候補を挙げるとするならば、チームワークか、個人の能力という事になるだろう。
 前者が無ければ、息のあったコンビネーションはおろか、任務の成功すら怪しくなる。
 後者が無ければ、それはもう忍としては生きていけない。

 個人能力至上主義。

 それは確かに、間違った考え方ではない。チームワークよりも個人の能力が重要される依頼も、実際のところ少なくはない。ただ、難易度が高いだけで。
 いののような普通の中忍では、そういう個人技能が必要とされる任務など、年に二、三度あるかないかという頻度だろう。だが、同じ中忍といえどもサクラは別格だ。
 先の話し方から察するに、彼女が今まで受けてきた任務のほぼ全てが、個人能力至上の高難易度任務。恐らくチームワークを重視する任務など、片手で数えるほどしか受けた事が無いのではないだろうか。
 でなければ、相当に頭の切れるサクラが、何の理由も無しにあんな物言いをするとは思えなかった。

     ――それほどまで、優れた忍だったという事。








 その後は何事も無く道程は進み、予定していた時刻よりも多少早く目的の町に到着する事が出来た。
 すぐにあらかじめ予約してあった宿へと移動し、身の周りを片してから相談のため男部屋へと集合する。
「知ってると思うが、今回の任務はイヤリングを盗み出すこと。まあ当然の事だが、戦わずに済むならそれに越したことは無い――ということで」
 カカシは緩く円を描くように座っている四人の顔を見回した。
「オレと一緒に明日屋敷に侵入する人を決めたいんだけど、そういうのが得意な人いる?」

 カカシの唐突な言葉に、サクラ以外の三人がさっと顔を見合わせる。
 互いの顔に何を読み取ったのか、いのが首をかしげた。
「相手の雇ってる忍のランクって分かってないのー?」
「ああ。だから、上忍が警備についている可能性も低いとは思うが、完全には否定できない」
「それでバレずに侵入しろってのか? ったく、めんどくせーな……」


「あ、あの……」


 沈黙に支配されかけた空間に最初に響いたのは、なんとも意外なことに黒髪の少女の声音だった。
 一斉に向けられた視線に身体をすくませながらも、彼女はおずおずと口を開く。
「私達が得意なのは情報収集向きの能力ばかりですけど、サクラさんはどういったスキルを持ってるんですか? 誰がどんなスキルを持っているのかくらいは、知っておく必要があると思うんですけど……」
「それもそうよねー」
 うんうんと、いのが納得したように何度も頷き、その様子にヒナタはほっとした様子を見せた。

「知らないのはサクラのだけ?」
「俺達はな」
「サクラ?」
 一人少し距離を置いて壁にもたれている彼女に眼をやると、こくりと小さく頭が上下する。

「――そうじゃなくて」

 そこで否定の言葉を吐いたカカシに、サクラは胡乱気な眼を向けた。
 数瞬後、彼女は理解したというように二、三度瞬きする。
「……隠密接敵技能よ」
「え?」
「ストーキングの事」
 それだけ言うと彼女はまた、我関せずとばかりに目を閉じた。

 サクラの台詞から数秒間が空き、いのの声が響く。
「屋敷には、あんたが行ってくれないー?」
 閉じられたばかりのサクラの瞳が、すっと流れるようにいのを映した。
「あんたとその上忍しか無理っぽいし」
「いいわ」
 任務の内容を聞き逃していたわけでもなかろうに、至極簡潔でアッサリとした返事に、その会話を傍観していたヒナタが慌てたように口を挟む。

「いいんですか? もし見つかれば死んでしまうかもしれないんですよ?」
「別に。大体、任務とはそういうものでしょう。命を賭けずして手に入れられる物など、はした物だわ」
 鋭くも真理をついたその言葉に、ヒナタは言葉を詰まらせた。
 それを見ていたいのも、軽く眉が上がっている。





 ――大体、忍に対しての認識からして違うのだ。サクラと、彼女達では。
 温室育ちとまでは言わないが、木の葉の里は隠れ里では一、二を争うほどに巨大であるからして、忍の現実をその目で間近で見るのは、殆どの場合が公の場で酒が飲めるようになった年齢からではないだろうか。
 たとえ任務であろうと人を殺すという事に恐怖を覚え、刃を鈍らせ、隙を作る。
 生きるか死ぬかの瀬戸際になって、ようやく隙が出来なくなる程度。
 それでは――敵うまい。

 人を殺める事に罪悪を覚えようとも、それしか術が無いのならば躊躇わずに選択する。刃が鈍ることなど、ありえない。
 その強さを持つか持たないか。その違いは本人が思う以上に大きいのだ。





「あー…とにかくだ、明日の夜オレと一緒に屋敷に侵入するのはサクラで決定。だろ?」
 全員が頷くのを確認して後を続ける。
「本格的な任務は明日から。三人には町にどういう情報が流れてるのか、それぞれの得意分野で情報収集してもらう。あと三代目からの言伝だけども『この任務の原則は非殺傷。これをゆめゆめ忘れぬように』だそうだ。じゃ、おやすみー」

 言いたい事だけ言うと、カカシはうも寝ろというようにひらひらと手を振って女の子を部屋から追い出した。
「何よー」
 いのが文句を言っていたが、そんな事を気にする男ではない。

「早く寝ろよー」
「うるさーい!」
 壁越しでもよく聞こえる声に、内心、そっちの方が煩いだろう、などと言ってみる。
 声に出す気も顔に出す気もさらさら無かったが。
 横のシカマルを振り返り、カカシはあくびを一つ。

「さて、オレ達も寝るとするかね」




■2002-09/26■改稿2003-10/15
微妙に難産だったこの話。山場が無いせいか? ああー、氷雨が書きたいー。
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