12 / 密会

 月の放つ青白い光が、カーテンの間に空いた僅かな隙間から差し込んで彼の銀髪を鮮やかに光らせる。微かに身を捩るたび角度を変えてきらきらと輝いていた頭が、不意にむくりと起き上がった。
 隣で寝ている少年が起きていないことを呼吸音で確認し、衣擦れの音すらたてずに立ち上がるとカーテンの隙間から空を仰ぎ見た。
「んん…午前零時過ぎ、ってとこか」

 あまり都会ではないこのあたりの町では、午前零時を過ぎると人通りは皆無といってよいほど途切れがちになる。その時間に外を出歩いていると、不審人物と見なされてしまうそうだ。
「だからこその忍、かな」
 カーテンから手を離し、さっとドアに向かって踵を返す。といっても、その立ち居姿は昼間に見るものと寸分も違いは無い。

 夜こそが本当の忍の時間。
 その言葉を裏付けるように、蒼い瞳が僅かな月の光を弾いて揺らめいた。





 男部屋を出た後、隣の部屋の少女達が寝ているか、失礼かなと思いつつ、ドアを少しだけ開けて確認する。三つある布団がどれもふっくらと人型に膨れていることに、カカシはそっとドアを閉めた。
 サクラが居るかが一番の心配事だったのだが、起き出していないようで何よりだ。
 内心ほっと胸を撫で下ろし、外に出ようと宿の暖簾をくぐる時に、それはいとも簡単に裏切られた。

 影から光る、緑の瞳。
 その瞳に見覚えがありすぎて、声を殺しつつも思わず名を呼んだ。
「サクラ…っ!?」
 たしか宿の前は普通の民家だったな。
 そんなどうでもいいような事を思い出しながら、カカシは塀に背を預けて平然と自分を見返してくるサクラの双眸を見返した。

     どうしてここに。

 ついさっき、寝ているかどうか確かに自分は確認した。顔を覗き込んだわけではないが、布団にふくらみはあったし、気配だってあった。
 時間にすれば、一分も経っていないだろう。
 なんだ。彼女は自分が確認した後に、先回りしてここで待っていたと、そう言う事か。

「外れ」
「?」
 カカシが完全に思考に沈み切る前に、彼女はさらりと言葉を挟みこむ。
「私はあなたの確認後にここに先回りしたのではなくて、始めからここにいた」
「…部屋のは?」
「影分身。気配を残した、ね」
 ――その手があったか。
 自分の間抜けさに、ちょっと頭を抱えたくなった。

「オレが今から何処に行こうとしてるか、分かってる?」
「愚問だわ。でなければ誰が来るというの」
 言葉に重ねてサクラは塀から身を起こし、どこか呆れた色を乗せた瞳でカカシを見やる。その眼差しをしばし真正面から受け、カカシは視線をついと空へとずらした。

 彼女の聡明さを忘れていた自分が全面的に悪い。
 『命令』だと言って宿に戻れと告げれば、サクラは大人しくそれに従うだろう。だが実のところ、そこまでして隠し通すことの程でも無かったりするのだから、この場はやはり、穏便に。
「……ま、いいか。サクラ、行くよ」








 人通りが皆無となった大通りを、二つの人影が早くも遅くもないペースで黙々と進む。そしてその人影に付き従うように、遠くの家々の屋根を獣の影が駆けた。
 月光を浴びて銀に輝く体毛を持った獣は、時たま足を止めては黄金色の瞳を月へと向ける。
 そしてその度に、それに合わせて人影の片方が僅かに月を見上げた。呼応する動作は月を間に挟んで数瞬続き、その後、両者は何事もなかったかのように視線を元の位置に戻す。
 その邂逅で何を得たのか、人影はほんの微かに口元を緩め、獣は目を細めて尾を揺らした。





 宿泊している宿から十分ほど歩いた所に、目的の屋敷があった。
 町一番の資産家として有名な大名宅だけあり、その屋敷は相当な広さを誇っている。
 曲がり角から反対側の角まで、延々と屋敷を囲う塀が連なっているところからするに、数区画分の広さはあるのではないだろうか。

 来る前に記憶してきた資料から屋敷に関しての情報を引っ張り出し、カカシは首を捻る。
 町の七分の一。
 そんなに広大な屋敷を持って何が楽しいのだろう。
 隅々まで自分の手が届くわけでもないのに。

 いつの間にかつらつらと、屋敷に関しての批評を頭の中に並べ立てていることに気付き、彼はその考えを追い出すように軽く顔を横に振った。
 すぐに鋭さを取り戻した瞳で、もう一度、屋敷を囲う塀にざっと眼を通す。

「さて、どうしようか」
「侵入するんでしょ?」
 カカシはまず、独り言のつもりで呟いた言葉に返事が返ってきたことにちょっと目を瞠り、次いで、その声が何故だか少し離れた所から響いてきた感じなのに気付いて、不思議に思いながらくるりと後ろを振り返った。
「――あ」

 彼が今居る場所から西よりの塀の上にしゃがんで、サクラはその双眸をカカシへと向けている。
 次いで彼女の口から零れたのはひどく端的な言葉だったが、カカシはそれにゆるく口端を持ち上げた。
「ここ」
「――じゃ、そうするかね」





 三メートル弱くらいの塀の上からだと、さすがに屋敷の中がよく見渡せる。
 今居る位置から確認できる限りでは、庭に忍は一人だけ。しかも、あの感じだと中忍だろうか。何とも拍子抜けだった。
(寝所と宝物庫の位置が逆になっている)
 心の中に響く聞きなれた声に、カカシに気付かれぬようそっと意識を傾ける。
(他にも何かあるかも知れんが、軽く見た程度で分かるのはそのくらいだ)
(分かったわ。ありがと)

「どう?」
「屋敷の形が少し違うみたい」
「どの辺りか分かる?」
「…北東の辺りね」
「へぇ……よく解るね」
 ただただ感心という口調の隣の男に、サクラは僅かばかり呆れを滲ませた瞳を向けた。

「何処に品物があるか、調べに来たんでしょ」
「もち」
 彼女ににっこりと笑って見せ、その形を保ったままの瞳で屋敷をぐるりと視界におさめる。
 瞬間、ふわり、という微かな圧迫感。
 カカシが何をしているのかを理解し、サクラも彼に倣って屋敷を瞳に収めて意識を尖らせた。



 意識を広げる。今二人が行なっている行為は、忍の世界では一般的にそう呼ばれていた。
 普段意識しなければ、己の周囲のごく小さな範囲にしか向けていない認識能力――つまりはモノの気配を察知する力と勘が合わさったようなもの――を、意識的に制御することで、認識可能な範囲を広げるという事である。
 広範囲や複数の標的捕捉の際に役立つため、実践では非常に重宝されている技術でもある。



 脳裏に広げた屋敷の俯瞰図に、赤い光点がちかりと光る。

     ――見つけた

 横目でカカシを見やると、彼は納得したようにしきりに頷いていた。
「そうか、そこかぁ」
 ふむふむと、何を考えているのか小さな声を漏らし、不意に、サクラの視線に気付いたようにくるりと身体を九十度回転させる。
「さ、帰ろうか」








「何か有力情報は見つかった?」
 その場の顔を見回しカカシが告げた言葉に、情報収集を担当していた面々はそれぞれ異なった反応を見せた。ヒナタはすまなさそうに、いのはさぁと言った様子で肩を竦め、説明は任せたとでも言いたげな視線をさらに隣のシカマルへと流す。
 その視線を向けられたシカマルはと言えば、面倒くさそうにしつつも、どこか諦めたような面持ちでため息をついた。

「朝からずっと聞き歩いたり、探ってみたりしたけど何にも見つからなかったぜ。見事すぎるほどにな」
「なるほど。で――退路は?」
「大丈夫だ。あちこち見てきたけど、どこも全部開放的な作りで広くなってるから、いけるぜ」
「忍に優しい街づくりで何より」
 終了するまで当然気は抜けないが、想像していたよりも優しい任務になりそうだった。
「……と言う事で、本日午前零時をまわった頃より、任務を開始する。各々、解っているとは思うが荷物は纏めておくように」





 ベッドが届く予定日を、今から早める事が出来れば。
 任務に微塵も関係ないそんな事を思ったのは、今にも決行されようとしている任務が想像よりも容易に終了しそうで、予定より数日も早く里へと帰還出来そうだったからに他ならない。
 ぼんやりと見上げた月はちょうど今日満月になったばかりで、煌々と青白い光を放って空にある。

 隠密行動には不向きな日。
 声には出さず、口の形だけで空に向かって呟く。
 こうまで月光が明るいと、地面に相当強い影が出来る。新月ならば気を使わず任務ができるのだが、任務が日を待ってくれるわけもないし、何より、影などで成功率が左右されるような忍など半人前以外の何者でもない。

「サクラ、行くよ?」
 いつもより幾分抑え目な声に月から塀の上へと視線を下げると、カカシが彼女に向かって手を差し伸べていた。
「……共に行くの?」
「うん」
「私一人でいい」
「どうして」
「あなたは彼らのリーダー。何か起こった時の事も考慮して、普通は部下が行くべきものでしょう」
「一人で…平気?」

 カカシの口から漏れたその問いに、思わず眉が軽く上がった。サクラの反応を見て彼もようやくその問いの不味さを思い出したようで、影となっている筈の顔が、しまった、という風に歪む。
「愚問だわ」
 彼女が一人で生きてきた事を、知らぬ者ではないというのに。

 一言で言い捨て、カカシから少し離れた塀の上に飛び乗る。
「自信が無ければ、そんな事誰も言わないでしょうに。それでも心配なのなら、そこに居ればいい。万が一を考えてね」
 言って彼を見やると、カカシはどこか窺うような眼差しでサクラを見ていた。
 リーダーとしての威厳は一体どこに。

「――行くわ」
「行ってらっしゃい」
 間髪入れずに返ってきた言葉に眼を瞬き、そう言えばそうかと納得して小さく笑う。そういう使い方もあったのか。
 送り迎えの言葉など、氷雨以外の者から聞いたのは一体いつぶりになるのだろう。家を持たぬ自分にとっては、彼の傍こそが帰るべき唯一の場所だったから。
 微笑に気付いたカカシの息を呑む気配に少しだけ笑みを深くして、サクラはとん、と軽く塀から飛んだ。




■2002-10/08■改稿2003-10/23
ああ・・・・改稿したら中身が大幅増量に。始めのあたりなんて、カカシ先生をカッコよく見せようと思いはしたものの、思っただけで終了。それがさらに間抜けさを煽る結果に(笑)
長さの都合上(笑)、次の話の頭に持ってくることに。いや、ちょっと書くのに疲れただけ(殴)
題の「密会」はカカシとサクラの事でもあり、サクラと氷雨の事でもあるのです。
→ 13 / 闇夜の行方