13 / 闇夜の行方

 元からそういう類の事が得意だったサクラにとって、屋敷への侵入は非常に容易く、影に紛れて滑るように屋敷の内部を移動する。
 僅かな軋みも痕跡も、侵入には不要だ。
(寝所と宝物庫…ね)
 氷雨から聞き及んだ情報に従って屋敷の俯瞰図に微妙に修正を加えつつ、昨夜赤い光点を見つけた部屋へとゆるりと歩みを進ませる。

 全く緊張をしていないと言うわけではないが、敵地へ侵入しているというのにピリピリと気を張っているわけでもなく、はたから見れば、普通に道を歩いているのと何ら変わらない平然とした態度。
 実際問題として、彼女が本気で気配を隠したならばそれを感じ取るのは並大抵の事ではない。

 サクラはある部屋の前でピタリと足を止めてすうっと音もなく襖を開くと、その隙間から身体を滑り込ませ再び素早く閉じる。後ろ手に閉じた姿勢のまま三秒きっかり耳を澄まして気配を探るが、何の変わりもない事を確認して襖から離れ、部屋の内部を見回した。





 窓も灯りも無い部屋の中は暗く、大気すらも淀んでいるように感じる。
 灯りが無いのは、もしもの場合に相手を少しでも有利な立場から遠ざけるためで、窓が無いのは、そこから侵入や脱出が出来ないようにするため。
 彼女にとってはまさしく、宝の隠し場所と言った趣の部屋だった。

「馬鹿ね」
 たかがこれしきの暗闇で、忍の感覚を誤魔化せるとでも考えたのだろうか。
 暗闇の中で生き抜く事こそが忍の本領だというのに、それに対応する術を持っている事くらいは知っているはずではないのか。
 不思議でもあり、どこか微妙に不自然さのにおう空間。

 僅か二秒、サクラはその双眸を閉じ、すぐに開く。それだけで彼女の瞳は暗闇に慣れきった眼に変わっていた。
 その眼で一度ぐるりと部屋を見回し、意識の端に引っかかった場所へと再度視線を向ける。
 瞬間、微かに瞳が細められ、唇が無音を紡いだ。

     ――ビンゴ

 壁に歩み寄り、確認も兼ねて壁に付着した埃の厚さを眺め、次いで床から十センチ辺りに指を滑らせて極薄く付着していた埃を取り払う。すると、壁と同色で針ほどの太さしかない取っ手が目につき、彼女は慎重にそれを引っ張った。
 カチリと微かな音を立てて壁に切れ目が走り、数秒間を空けて壁に埋め込まれていた小さな箱が床に転がり落ちる。
 中身を確認すると、どうやら本物で間違いはないようだった。落とさぬようにとコートの内ポケットに滑り込ませ膝をついていた姿勢から立ち上がりかけた時、不意にぞわりと背筋が泡立った。

 その気配を、それを持つ人物を、自分は知っている。
 どうしようもないほどの確信と憎悪が心をよぎり、軽い舌打ちと共に横へと素早く飛び退いた。

 闇色の髪と、こけた頬。
 口の端を吊り上げるようにして笑う独特の笑い方に、我知らず視線がきつくなる。
「久しぶりねえ、サクラ」








「―――」
 つと、琴線に何かが触れ、カカシは蒼い右眼を鋭く細める。
 長年つちかった忍としての勘が、頭の中で警鐘を鳴らす。

     ――危険だ

 屋敷の中を見通すように見やれば、そこにあった大気がいつしか淀み、サクラの気配までもがゆらゆらと揺れていた。隠密行動の達人である彼女の気配が。
 なにやら、非常に宜しくない事態が起こったのだとしか考えられない。
 塀を軽く蹴って閑散とした庭に飛び降り、建物の影にすっと身を滑り込ませながら、彼は己の手に嵌められた手甲をその先に待ち受けるものを予知しているかのごとく、整えるように引っ張った。





 ぎしり、と音を立てて身体が軋んだ。

 軽く数本は折れてしまったのであろう肋骨が、僅かに身体を動かすたび激痛を走らせる。痛みに歯を噛みしめながらちらりと左腕に眼をやると、肘より少し下――あと数センチずれていたら二度と腕が動かなくなるところだった――に深々と突き刺さっており、血を滴らせた刃が暗闇の中で鈍い光を放った。
 瞼の上を斬られ朱に染まった視界の中央に、彼の男は始めと何ら変わらぬ姿でそこにある。
 圧倒的なまでの力の差と激痛に眉をひそめ、なるべくなら呼ばずに済めばいいと思っていたその名を、サクラはそっと心の内で呟いた。

     ――氷雨

 ドォン、と轟音が部屋を揺らした気がした。
 襖を踏み倒して外から飛び込んできた彼は、銀に輝く滑らかな体毛を怒気に膨らませて、黄金の瞳を険しくさせる。真っ直ぐ伸びた鼻面に皺をよせ、彼女が初めて聞くほどの低音で咽喉を鳴らした。
「――金狼、族……?」
 驚愕に詰まった声につられて眼をやれば、男は瞳孔が縦に伸びた只人にしては奇妙な瞳で、目の前に現れた氷雨を『穴が開くほど』というのがしっくりと当てはまるほどに凝視していた。

「そんなに珍しい?」
「――ククッ…確かにそうだけどねぇ。助けがまさか獣とは思わなかったよ」
 どこか馬鹿にしたような響きが混じった声音に、氷雨が頭を低く静める。
 ――言葉に怒りを感じたからではなく、只純粋に隙を見計らっての事だと、男は気付いただろうか。

「でもね…もう終わり。アンタの強情さはよく分かったわ。大人しく私のものになればよかったんだけど……手に入らぬものに、用は無いッ!」
 片手の五指を揃え、頭を低くしたまま唸っていた氷雨に向かってその手を突き出した。





「氷雨!」
 鋭い犬歯が覗く巨大な顎をその期を待っていたとばかりに開き、彼は四肢に力をたわめた。取っ掛かりを求めて立てられた爪が、畳に大きく食い込む。

 確実に、避けられることの無い瞬間。

 只それだけを狙い畳に深く食い込んでいく爪が、不意に、食い込むのを止めた。
 寸前に迫っている腕に黄金の視線が集中し、もう一度、これ異常ないほどの力で畳に爪が沈みかけたその刹那。
 悪鬼の如き力を腕に纏わせていた男が、僅かに眼を見開いた。


「――何してくれてんのかな、俺の女に」


 突如として闇の中から響いた聞き覚えのありすぎる声音に、サクラは目を瞠り、氷雨は大きな耳をピンと立てる。空間を引き裂くように飛来し、鈍い音を立ててクナイが畳に突き刺さった。
「万が一の時って――今も、だよね」
 言葉だけは穏やかに。告げる声音は冷ややかに。
 押さえきれるはずのない激情を無理矢理に押さえつけたと、その声音でバレバレだった。

 ピリピリとした空気がサクラの肌を刺し、その不快感に微かに顔を顰める。
 次いで、右手の甲で口端から流れ落ちる血を些か乱暴に拭い、付着した血を振り払うように軽く手を振った。その腕の動きに合わせて、しゅるりと何かが擦れる音が響き、僅かに口端を持ち上げたサクラの手中に音も無くクナイが服の中から滑り落ちて収まる。
「武器も、体力も――気力さえも無くなったと思って…?」

 僅かに持ち上げられた口端はそのままに、鋭く細まっていた瞳が僅かに弧を描いた。
 不敵。
 そうとしか言いようの無い顔で笑み、彼女は手中のクナイを弄ぶ。
 己の置かれた状況を理解してなおの態度に彼はぴくりと眉を持ち上げ、やがてゆるりと微笑を浮かべた。
 微笑ったというには余りに禍々しい、その笑顔。

「面白い娘に育ったものだね。――いいわ、今はまだ生かして置いてあげる。次に会う時には、もっと強くなっていることね」
 するりと、男は闇に溶ける様に消え去った。




■2002-10/14■改稿2003-11/06
ああー、やっぱりやっちまいましたよ。氷雨の出番アップ(笑)
・・・行がつめつめすぎですか?(←日本語?)。「俺の女」発言だけはとばせなかったです。
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