14 / 解放 |
漆黒の闇の中に、一人ぽつりと立ち尽くす。 ぐるりと周りを見回せども、目に映るのは淀んだように濃厚な闇。手を持ち上げてみても、その感覚があるだけで実際に持ち上げているのかも確かめられないほどに。 そっと顔を撫でると、確かに触れる。感触がある。 目も、開いてる。 「夢――」 小さな呟きはあっという間に闇に呑込まれ、消えていく。 ただただ黒くて深い、寂しい場所に。 吐き出す呼気と共に微かに笑うと、やけにその音が耳に残った。 暗黒が、ざわりと揺れる。その暗さに微妙なムラが生じて、中に何かが見えた。 影。緋。銀。金。 先程まで見ていたはずのものの影と、それらの色。脳裏に閃くものがあった。 「あの後、どうなった……? 寝ている場合じゃない…か――」 ――醒めろ 鋭く一度だけ心で念じると、瞼の裏に光景がよぎる。見えただけで理解することは叶わない速度で通りすぎると、あたりの光景が真白になった。 それがそういう気がしただけなのは、過去の経験で知っていた。 それが、目覚めの合図になることも。 ピクリと痙攣するように瞼が震え、随分と重たく感じるそれを薄く開く。先程の光景とは打って変わって明るく、あまりの差異に目の奥が痛んだ。 チカチカと光景が明滅し、しばらくしてそれが治まっても眩しくて、目は細めたままだった。 視界が狭いが狭いことにはすぐに気が付いた。脳に障害でも出来たのかと一瞬背筋がひやりとし、何度か瞬きして、左目に包帯が巻かれているのだと気付く。 右眼だけの狭い視界で、ぐるりと部屋の中を見回した。 真っ白。 天井も壁も窓から吹き込む風に煽られて揺れるカーテンも、ドアもシーツも何もかもが。 次いで彼女の感覚器に届いたのは、独特な異臭。薬品の、におい。 病院。 その言葉がすぐに浮かび、そんなに頭が鈍っていないようで安堵して息をついた。 ベッドに横たわった状態のまま軽く手を握ってみる。 右手は、大丈夫。左手は、少し握力が足りないかもしれない。だが、二度と使えなくなっていたかもしれないことを考えると、一時的に握力が低下するくらいは仕方ないだろう。 なるべく左手に体重がかからないよう少し体を右に傾け、右手に力を込める。苦心して起き上がると、思わず吐息が零れた。――が、その途端、脇腹に激痛が走った。 「ッ――!」 唇を噛んで声を上げたいのを耐えると、すぐさま慎重に傷がある位置に手を滑らせる。 呼吸をするたびに皮膚が引っ張られ痛いのだと、すぐに理解した。呼吸法を変えれば、その痛みもなくなるだろう。 怪我に対する細かい対処法がすぐさま脳裏に浮かぶあたり、伊達に蔵書を読み漁っていた時期を持っているのではないのだと、口の端に小さく苦笑が浮かんだ。 「――起きたんだ」 声の方に顔を向けると、カカシが片手に花を持ったままドアを開けた姿勢で目を丸くしていた。 一体いつの間に。 そう思いかけて、気配をすぐさま察知できない程度には後遺症らしきものが残っているらしいと、また微かに頬を持ち上げる。 「何の用」 瞠られたままだった瞳が、その内容を理解する時間をとるように二、三度瞬き、次いでやんわりと苦笑の形に歪んでいった。 彼は手に持っていた花を持ち上げ、軽く肩をすくめる。 「お見舞い」 「あんた、もうちょっと優しくしてあげたらー? コイツったら、あんたの事、毎日見舞いに来てたんだからー」 カカシが手にしていた白い花の奥から響いてきたのは、聞き間違えようも無い、行き道で突っかかってきたいのの声だった。 その言葉に反応してか、カカシの苦笑が少し深くなる。 「いのちゃん、仮にも上忍に対してコイツはないでしょ」 そうは言うものの、いのの言葉に否定はしない。 という事は、そういう事なのだろうか。 「……本当?」 いのはサクラの問いに大きく頷き、それから斜め前方に立つカカシに複雑な視線を投げると、くるりと病室に対して背を向けてひらひらと手を振った。 「じゃ、あたしは帰るから。サクラー、ちゃんとその上忍の相手してあげなさいよー」 「あれから何日?」 「サクラが怪我したあの日からだと、ちょうど今日で一週間」 「そう」 カカシが備え付けの花瓶に花を入れるのを眺めながら、今しがた耳にしたばかりの単語に想う。 ――大丈夫だった? 何が、とは言わない。 どこが、とも言わない。 ただ、そう聞く。 単純な言葉の方が、深い事まで伝わるからだ。 彼と自分の間では特に。 ――大丈夫だ 心に波紋を作るように静かに返って来た返事に、気付かれないようそっと息をつく。 独りきりにならないで、良かった。 「サクラ」 いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げると、カカシはベッドの端っこに腰かけてじっと彼女を見つめていた。座る時にベッドが揺れたはずなのに、それに気付かないほどに思考に没頭していたのかと、内心密かに苦笑する。 「――大丈夫?」 穏やかに、ただただ柔らかく笑って、彼は一言そう言った。 たった今、彼女が自分の半身に告げたのと同じ言葉を口にした。 何も聞かない。 何も言わない。 何も触れずに、一言だけ。 柔らかく歪む蒼い眼から、視線が外せない。 ――どうして 自問してみても、理由は分からなかった。 色は違うけれど、これとよく似た眼差しがずっと傍にあった。今もある。 そのためだろうか。 理性が納得するかどうかギリギリの線で理由をつけて、サクラはようやく瞼を下げる。 目を閉じると同時に、目尻から冷たい滴がすうっと頬を滑り落ちた。 水滴。 頭の中に浮かんだのは、ただの水の滴という意味の言葉でしかなかった。それ以外には浮かばなかった、という方が近いかもしれない。 目が乾燥しすぎて、身体の反射機能が働いたのかと思った。 ――思っていた。 ふいにカカシが近づく気配がして身を引くが、緩く腕を引っ張られただけの力に逆らえず、ぽすりと額が彼の胸の辺りに当たる。 「何する――!」 声を荒げかけたサクラを無視してその頭に手を置くと、彼はまるで幼子をあやすかのように彼女の頭を撫でた。 「泣いてもね、いいんだよ」 ■2002-10/23■改稿2003-11/20 あああー。またまた話の内容が大幅に変わっておりまッス。 題は過去と心の解放――という所でしょうか。 |
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